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コラム

2025.10.09

プランテクノ創業の経緯とそこにかける想い

早いものでプランテクノを創業して10年以上が経過しました。今思うと、創業当初は明確なビジョンや想いなどはほとんどありませんでした。ただ、サラリーマン時代に感じた立ちはだかる壁、自由を奪う鎖、視界を遮る霧など、自分の周りの邪魔なものを払拭したい!その想いでここまで歩んできたのだと思います。今、あらためて自分の歩みを振り返ることで、これまで学んできたことと、プランテクノに込める想いをこの記事でしっかりとお伝えしたいと思います。

創業者の歩み

創業者: 鎌田弘之 1972年9月 愛知県生まれ。

県内の高校を経て静岡大学 工学部光電機械工学科に進学。
大学の成績が、理解度ではなく出席重視という理不尽さにやる気を失い、4年間の大学生活を中退という形で終える。

愛知に戻り、親と親せきのつてで重電メーカーの協力会社(プラント電気施工管理)に就職する。しかし、5年半後に会社は倒産。奇しくも倒産の日は私の誕生日であった。

倒産した会社の名古屋営業所メンバー10名で新会社を設立。
仕事がゼロという厳しいスタートではあったが、徐々に軌道にのり2年半が経ったころには忙しい日々を送る。しかし、時期を同じくして、人間関係に問題が発生。離職を決意する。

そのころ、知人が務めていた設備設計事務所が積算の人材を求めていると聞き即入社。
入社して2~3年目にはグループリーダーに抜擢され、日々目まぐるしく業務を行っていた。
そして、9年の歳月を経て、起業の道に歩みだすことを決意。

個人事業「プランテクノ」を創業。自宅の一部を事務所とし業務を開始。
2016年には事業を法人化し、「株式会社プランテクノ」として新たなスタートを切り、現在に至る。

 

1社目:社畜の基礎が完成

最初の会社はプラント工事の電気施工管理。会社としてのバックアップ体制はほぼ無く、個人に委ねられていました。見積から価格交渉、職人や材料の手配、現場の施工・品質・安全管理から施工図の作成まで、すべてを一人で行っていました。その為、材料手配や施工図の作成は深夜もしくは土日祝で、完全な休みは殆どありませんでした。ただ、若い人が多い会社だったので、お互い文句を言いながらも、日々、仲良く楽しく仕事をしていました。そして、いつの間にか深夜残業や休日出勤が、苦ではなくなりました。また、途中からは残業代も制限がかかって大幅カットとなりましたが、「自分がやらなければ現場が止まってしまう」という気持ちから、率先してサービス残業をしていました。

ここに、セルフブラック化する社畜の基礎が完成しました。

 

2社目:共同創業の難しさを思い知る

1社目が倒産した後、同僚10名で起業し新会社を設立しました。
起業当初は「全員が経営者として頑張っていこう!」という掛け声のもと、倒産した会社で名古屋営業所長だった方が形式上、社長に就任しました。いま思うと、この前職から上下関係を引きずったままでの起業は、非常に良くありませんでした。ゼロからのスタートのため、それまで経験してこなかった飛び込み営業や会社の基盤づくりなど、何でもやらなければならなかったのですが、自分ができないこと、苦手なことは部下にやらせるという歪んだ上下関係が蔓延し、人間関係にもひびが入っていきました。

なぜそうなったのか。まず問題は、全員が目指す方向性と起業にかける想いについて、擦り合わせが出来ていなかった点です。目標達成のためにはなんでもやる!という決意が欠けたままでの起業となってしまいました。さらに問題は、表面的には全員経営者という扱いで、上下は無しのはずでしたが、従来の上下関係を白紙にできるわけはなく、そのままの上下関係を引きずってしまいました。そして、その上下関係と起業にかける想いは比例していない、いや、むしろ反比例していました。立場は上だが想いは無い、そんな上司の下で気持ち良く働けるわけもなく、私を皮切りに、一人また一人と離職していきました。

そもそも10名の気持ちをひとつにし、目指す道を定めるのは極めて困難だと思います。

しかし、その当時は安易に考え、仲が良いから何とかなるだろう…くらいにしか考えていなかったのです。

 

3社目:縦割りの人間関係と孤独感・無力感

2社目を離職後、知人の紹介で設備設計事務所に入社しました。配属されたグループは私以外、全て社内外注の業務委託。グループはそれぞれで連携もなく縦割りで、会社全体としての一体感もなく、日々孤独を感じていました。また、一人正社員でグループ間の協力も見込めないため、前職までに身につけた、社畜の基礎が本領を発揮。管理職扱いなので残業代はつきませんが、深夜残業、徹夜作業を繰り返していました。まさに、理想的なセルフブラック化する社畜。そんな中、会社を変えるべく改善提案を出したり社長に進言したりと、もがいた時期もありました。しかし、権限のない私一人がもがいても、会社は少しも変わらない。あまりにも無力な自分に打ちのめされました。

そして、9年の歳月が流れ、起業の道へと進む決意をしました

 

前職から学んだ目指すべき会社の姿

まず、起業する際に、自分ならどんな会社を作りたいだろうと考えました。しかし、全く浮かんできません。なぜなら、これまで経験した会社ではビジョンや理念が無く、また、自分自身もそれを意識したことすらなかったからです。

想いが無ければ会社は成長できない。2社目で思い知りました。
でも、「想い」が浮かばない。
目指したいことが浮かばないなら、まず、やりたくない事、嫌だなと思う事を洗い出そうと考えました。

・残業が多い(サービス残業)
・徹夜作業が頻繁にある
・給料が低い
・会社が古い体質で変わろうとしない
・意味が分からないルールがある
・経営者、上司が立場に見合った仕事をしていない
・設備投資に消極的
・愚痴ばかりの楽しくない飲み会に参加
・社内で基準が統一されていない
・仕事を教えてもらえない
・仕事があまりできない人がなぜか評価が高い
・会社の一体感が無い
・みんなが仕事に対して前向きではない(会社の事を好きじゃない)
・人間関係が悪い
・職場環境が快適ではない

など、挙げだしたら止まらなくなってしまいました(笑)

 

これらを意識し、心地のいい会社を作ることを目標としました。
そして、出来上がった会社の理念は

自分がされて嫌なことは人にしない

働くことを楽しもう

です。

この理念のもと、過去の私のようにセルフブラック化しない、誰も置き去りにしない心地のいい会社になれるよう、社員一同頑張っていきたいと思っています。

 

プランテクノと私の想い(まとめ)

プランテクノに至るまでの私の経験は、決して人にお勧めできるものではありませんが、この経験があったからこそプランテクノが生まれ、素晴らしい仲間たちと出会うことができました。この仲間たちとともに、理想の会社を作っていきたい、そう心から願っています。

会社が変わっていくには、そこで働く人たちも変わっていく必要があります。

変化は時に苦痛をともないます。
しかし、その苦痛から逃げてばかりでは心地のいい会社は遠ざかってしまうと、私は思います。

・プランテクノは変化を恐れない。
・常に、より心地のいい会社を目指す。
・社員一丸となって仕事を楽しむ。

 

そんなプランテクノに、この記事を通して少しでも興味を持っていただければ幸いです。

プランテクノは、これからも変わり続けます。

その変化を、ぜひ、温かい目で見守ってください。

 

著者情報 AUTHOR


 
大学中退、就職した施工管理会社の倒産、仲間との起業、そして過重労働からの脱出など、あらゆる難局を越えてついにたどり着いた自分たちの理想の会社。経営者として分からない事ばかりだが、日々試行錯誤し、より良い会社にすべく奮闘中。
電気施工管理8年・設備設計事務所9年を経て、現在に至る。

 取得資格

- 第一種電気工事士    H12年1月取得
- 第三種電気主任技術者  H11年12月取得    

- 建築設備士       H22年6月取得
-エネルギー管理士     H23年11月取得    

- 2級管工事施工管理技士   H13年2月取得    

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